山車
1元町本町
特徴
総欅造りの釘を使わない組み立て式で特別な細工がある山車は所沢一の大きさ。右柱に下り龍、左柱に上り龍、欄間に5頭の龍など多数の彫物がある。
市指定文化財
出来事
1999年、車体部分を100万円かけて改修。盛留は首の部分があるので会所に飾ります。2000年は中国の人の参加もあり町内ある空手道場のこどもたちにも参加して頂いたこともある。
制作 | 推定明治6年 |
---|---|
費用 | 600円 |
制作者 | 甲田了作 |
盛留 | 加藤清正 |
総統括 責任者談 |
村山祥男 |
2元町東
特徴
自慢は毛彫り細工の上り龍と下り龍。曳網を付け替えるだけで前後が変わる「迫り上げ舞台」(回り舞台)が特徴。
出来事
2000年10月7日は、神明社で安全祈願の御払いを受け、盛留の日本武尊は、会所に飾りました。「家具の亀屋」の関口正二さんに寄贈頂いたミニュチュアの山車は2000年10月8日に初お披露目しました。
制作 | 昭和3年 |
---|---|
費用 | 3000円 |
制作者 | 青山伊助 |
盛留 | 日本武尊 |
総統括 責任者談 |
清水吉男 |
3寿町
特徴
文化財級だった1847年作の山車を、老朽化により解体し、当時の飾り物をほとんど残して昭和23年12月に築造したもの。盛留は神武天皇。
出来事
御稚児さんの提灯を町内で負担して行列をします。2000年には若い衆がはっぴを新調。山車の中の照明を直し明るくし、提灯も5本新調。
制作 | 昭和23年 |
---|---|
費用 | 10万円 |
制作者 | 吉沢宗吉 田中武 |
盛留 | 神武天皇 |
総統括 責任者談 |
小野田光二 |
4御幸町
特徴
御幸町の山車は、八王子で江戸後期に製作され、160年以上の歴史があります。昭和44年に所沢市の文化財指定を受け、平成28年の4月より『有形民俗文化財』に変更されました。
同時に名称が、「御幸町山車及び二代原舟月作人形『関羽・周倉』」となりました。
存在感のある堂々とした大きな山車で、周囲に施された様々な龍の彫刻はとても見事です。八王子型一本柱人形山車で、現在でも屋根に人形盛留を飾り付けることができます。市内で唯一であるだけでなく、県内でも他に類を見ない、貴重な文化財です。
市制施工記念祭りの宵宮(前日祭)で、山車の屋根に人形を飾り、その勇ましい姿を5年に一度、披露しています。
御幸町町内会では、後世に渡り、この雄姿を多くの皆様にご披露できるよう、山車の伝承に努めています。
(2016年9月更新)
制作 | 江戸後期 |
---|---|
費用 | 350円 |
制作者 | 原舟月 |
盛留 | 関羽・周倉 |
総統括 責任者談 |
須田文夫 |
5宮本町
特徴
青山与助(元町東の山車を造った伊介の弟)が明治以前からあった部品を使って制作。川越の職人曰く「車輪は川越にもない古さ」。鉦は天保年間作。
出来事
2000年のお祭りから例年の祭りの際、峰の坂から通行止めをするのですがどこでお祭りをやってるかわからないと苦情があったため町内に提灯を飾ってお祭り気分を盛上げます。
制作 | 昭和初期 |
---|---|
費用 | 不明 |
制作者 | 青山与助 |
盛留 | |
総統括 責任者談 |
島崎昭平 |
6日吉町・東町
特徴
日東の山車は、回り舞台、屋根には人形を乗せた立派な山車であったが老朽化が進み、以前の山車の台座を生かし大改造した物で、昭和30年11月に完成した。
日東支部は「ところざわまつりバージョン」大太鼓による日東オリジナル『師調目くずし』を引っさげて祭を楽しみ観客からも多大な声援を頂いている。
制作 | 昭和30年 |
---|---|
費用 | 20万円 |
制作者 | 二上良作 井上薫 牧野正一 荒井喜一郎 |
盛留 | |
総統括 責任者談 |
河合武夫 |
7金山町
特徴
金山町の山車は二代目です。初代は明治初期の作で、現在の山車は昭和50年から5年の歳月を掛け55年10月に完成し、NHKの関東ネットワークでも紹介されました。
この山車の最大の特色は金山町の町名の由来となった金山神社の社殿に使われていた彫刻や木材をフル活用し、それに現代の技術を加味した新旧渾然とした素晴らしい傑作であります。
金山神社は昭和初期(道路が拡張される前)までは金山町の大通りに面し現在の数倍の規模でありました。
今回の山車作成に使用された往時の部材は4本の欅材と5体の彫刻です。
当時金山神社の祭礼のときに建てる左右二本の幟竿(長さ約14M)が倒れないように深く地中に埋め、両側から幟竿を挟んで幟が倒れないように固定した土台部分を通称「ふん挟み」(厚さ15CM、幅60CM、長さ6Mの欅材)といいますがこの4本のふん挟みを山車の舞台の土台に活用しました。
また、神社の社殿に飾られていた竜の彫刻を楽屋の左右両出窓の上と山車の正面の欄間に計三体が使われています。
更に神社の柱に提灯を吊るす彫刻付き屋根も巧みに山車の正面左右の柱に配置、活用して他に類型の無い独特の山車に仕上げてあります。
この山車は町内在住の本橋棟梁が全精力を傾けた渾身の名作であります。
特徴としては総欅、白木作り、屋根は唐破風に、屋根正面には魔除けの鬼の面、山車を引き立てる車輪は優美な樫の御所車、特に山車を飾る多数の彫刻は江戸期と現代の比較が出来て興味が尽きません。
(文責 齋藤昌俊)
追加説明:
前記の幟竿に掛けた幟は明治14年4月(1881年)に「山岡鉄舟」と「高橋泥舟」の筆になるもので貴重な文化財であります。
幟の大きさ 幅1.09M、長さ11.2M
幟の材料 帆船の帆材
これだけ長大な幟を建てて祭礼をした往時の齋藤氏と金山神社の盛大さが窺われます。
(2016年9月更新)
竣工年度 | 昭和55年10月 |
---|---|
費用 | 多数の旧い彫刻や欅材を使用したため金額不明 |
制作者 | 本橋吉蔵 |
盛留 | |
総統括 責任者談 |
齋藤善之 |
8旭町
特徴
永年親しんだ昭和23年作の旧山車は老朽化が進んだ為、平成25年10月5日、新規山車建造決定。市制65周年祭に御披露目できるよう竣工した。
部材、彫刻(美大出有名作家作)、全てが純国産であり台座や回り舞台に工夫あり。
重松囃子本家直系旭町太鼓連の本拠地にあいふさわしい山車として、今後数年をかけ、完璧な存在に育てて行く事を目指す。
(2016年9月更新)
制作 | 平成25年 |
---|---|
費用 | |
制作者 | |
盛留 | |
総統括 責任者談 |
岸周次郎 |
9星の宮
特徴
市制30周年の時、住吉の屋台を借りたのがきっかけで山車制作の機運が盛り上がり4m道路を曳き廻せる「360度回転する」自慢の山車を制作。重松流囃子は市内No.1。
出来事
山車は提灯を新品にしロープを5m短くしました。囃子連は町内の人だけ込み合い毎週練習成果を出そうと張り切ってますが順番待ちが大変です。 木遣り連も本格的
制作 | 昭和57年 |
---|---|
費用 | 1500万円 |
制作者 | 本橋吉蔵 |
盛留 | |
総統括 責任者談 |
岡野喜一 |
10西所沢
特徴
昭和23年に制作した旧山車の二代目として市制50周年に合わせて平成12年8月に完成。両側面にある彫物は「須佐之男命の八股大蛇退治」などがモチーフで、龍の総一刀彫りは見事。
出来事
2000年に山車を新調。舞台の左右の神武天皇・須佐之男命の大きな彫り物は圧巻。これに併せて三ケ島ペダル荻野社長から子ども神輿を寄付されたので駅から胃腸病院までを練り歩きます。
制作 | 平成12年8月 |
---|---|
費用 | 3500万円 |
制作者 | 高橋邑吉 北沢一京 |
盛留 | |
総統括 責任者談 |
糟谷英二 |
11有楽町
特徴
砂川村(立川市)から16代深井伝右衛門が買い取り町内に寄付。左右柱に上り龍と下り龍、破風には竜宮の彫刻があり豪華。所沢市指定文化財。
出来事
2000年1月から大改修して」化粧直しをしました。新装新たな山車になりました。それまでは「山車がゆれる」と心配でしたが鉄骨で補強し屋根も銅版を葺いたのできれいになりました。
制作 | 明治初期 |
---|---|
費用 | 千円 |
制作者 | 後藤徳蔵 |
盛留 | |
総統括 責任者談 |
道又正秀 |
12新井町
特徴
雨乞いのために曳き手がアマガエルの扮装をして曳き回した所夕立がきたといわれ「雨乞いだし」の異名がある。名人甲田了作の彫物は見事。
出来事
5年に1度御目見えする山車です。2000年には、前の柱に彫り物を入れ50mの綱を2本新調しました。囃子連は、子供たちの育成にも力を入れてます。2000年は総勢500名。
制作 | 推定明治16年 |
---|---|
費用 | 不明 |
制作者 | 鈴木三蔵 甲田了作 |
盛留 | |
総統括 責任者談 |
鈴木邦秋 |